その23 言葉で伝える

その23 言葉で伝える

なにかを伝えようとするとき、言葉を選ぶまでに、たくさんの感情が渦を巻く。
伝えるべきか、黙っておくべきか。言ったらどう思われるだろうか。そういった逡巡のあとに、自分の気持ちを投げかける。

言葉を選ぶとき、無数のヒダのようなもので目の前の出来事をなぞる。それは、記憶の積み重ねでできた感情のヒダだ。過去の経験に反応しながら、「これは悲しいことか」「嬉しいことか」「そのどちらもあるのか」と、細かく揺れながら物事を判断する。ヒダが過剰に反応すれば、思わず言葉が口をついて出てしまうこともあるし、逆に言葉が詰まって出てこなくなることもある。

「がんばれ」という言葉があるが、そういった励ましの言葉は、うつ病の人には禁句らしい。では、どんな言葉ならいいのだろう? と読み進めると、「つらかったね」などの寄り添いの言葉が良い、とある。でもそんなに簡単に正解があるのなら、そもそも心が折れたりはしないよな…なんて思ってしまう。とはいえ、気持ちを伝えるとき、言葉選びが大切なのはたしかだ。

「励ましの言葉」も「寄り添いの言葉」も、思い通りに届くとは限らない。相手の心の状態や関係性、タイミングによっては、まったく逆の意味になってしまうこともある。

気持ちを伝えたいほど、言葉がなかなか見つからない。うまく言おうとすると心から遠ざかってしまうし、間違ったことを言いたくないと思えば緊張して声が出ない。だからなるべく無難に、体裁よく収めたくなる。テレビのインタビューで「甘くて、美味しかった」「大きくて、すごかった」などと話す子をよく見るが、別に突然向けられたカメラの前で、自分の感情を正確に説明する必要などないし、それでいいのだろう。

言葉は、そのときの情景ごと記憶に残る。嬉しい言葉は、柔らかい視線と一緒にある。嫌な言葉は、薄ら笑いとセットで思い出される。

言葉は、気持ちを伝える手段のひとつだけど、同時に相手の心を通ってようやく届くものだ。だからこそ、意図せず傷つけてしまうこともあるし、何気ないひと言が相手の心を温かく照らし続けることもある。

最近は加齢に加えて、人と話す機会も減り、びっくりするほど言葉が出てこない。だけど、「伝えること」を諦めたくないな、と思う。

言葉のヒダに、できるだけ丁寧に触れられる人でありたい。

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