自分を救う

自分を救う

20代半ば、親元で引きこもっていた時期がある。

その時期しがみついた物語の世界。それは長い間、私の部屋に文庫本サイズで静かに並んでいた。多分もう読まないのに、それでも捨てられなかった。本の中にあったたくさんの世界が、この世で誰かの手によって執筆されたものだという事実。それこそが私を救ってくれていたような気がしている。

その頃わたしは、大きな暗い箱の底でじっと闇をなぞるように生きていた。真夜中にいよいよ絶望しかけて四つん這いになると、決まって底が抜け落ちてさらに落っこちていく。そんな繰り返しの毎日にいた。

わたしは本を読み、映画を見た。お弁当を作って自転車で出かけたり、開園から閉園まで動物園にいる日もあった。側から見たら穏やかな時間だろう。けれど私にとっては、自分が落ちたこの重暗い箱の蓋が閉まる前に、踏み台をこしらえる作業だった。

がむしゃらに、やっとのことで明日の重暗い箱に乗り移る。半ば強迫観念のようなものが私を突き動かしていたのだと思う。それでもわたしの中には、おいおいどこまで落ちたらどん底なんだよと嘲笑している自分もいた。そっちの感覚的な部分が、その時の私を支えていた。救ってくれていた。そしてその自分こそが、今の私の核になっている。

そんな日々が、たぶん一年半くらい続いた。

「10円多いですね」

「あ、すみません」

両親との会話を除けばその間の唯一の交流は、レジで交わしたこの短いやりとりだったと記憶している。それからもう、15年以上の時が経った。

昨年の荷造りですべての文庫本を手放した。

捨てられなかったこと。手放したこと。どちらについても、何がそうさせたのかはわかるようでわからないままである。

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