安らぎ

安らぎ

通勤時、川沿いの道を自転車で走っていると重い荷物を持って毎朝夕、橋を往復している人がいた。その橋の袂には、毎朝犬のブラッシングをする人の姿もあった。いつもの風景、何かが違うとそれなりに気になった。

自転車を漕いでいつもの景色を通り過ぎながら、わたしは度々安らぎとはなんだろうと考えることがあった。通勤生活が終わりに向かう中で、安らぎの輪郭がだんだんとくっきりしてきた。そしてそれは置き癖のついた心の置場、帰る場所なのだという答えに辿り着いた。馴染みの場所というやつだ。帰る場所というのは、場所であり、味や匂いであり、そこにある物だったりもする。習慣、日課、日常。月並みな言葉が月並みなことを指しているとは限らない。新鮮味のない平凡なことほど、簡単には語れないことが多い。

心は頭なのか、心臓なのか、もしかしたらそういうものではないのかもしれない。だけど自身の重要な部分としてわたしは「心」を確かに持っている。それは丸くて、地に足がついていない。そして足より上にある。つまり、「持っている」感覚で在るような気がしている。だから、外にいる時はしっかり持っていないと安定しない。中にいる時でも、目を離したら転がって落ちてしまう。大荷物を引きずって来る日も来る日も同じ橋を往復している人がやっているのも、おそらくそういうことだろう。みんな、心を守って生きている。馴染みの色、馴染みの味、馴染みの感触。心の置場がないなら、日常の繰り返しを碇にして、自分をつないでおこうとする。

おたまに生たまごを乗せて走る競技みたいに、心を懸けてまで競争したくない。わたしは安らぎを大切にして生きていたい。

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