その41 夢のはなし
Share
時々見る夢がいくつかある。飛ぶ夢や追いかけられる夢、そして恐ろしく汚いトイレの夢など、長年出番が安定しているシリーズのほかに、大人になってから始まったシリーズがある。
「もう朝か」と起きて、シャワーを浴びて髪を乾かし、コーヒーを淹れる。化粧をして、服を着替え、さあ出発、という地点で目覚める、まだ寝ているうちから慌ただしい地味に嫌な夢。これは必ず出勤前に見る夢で、うんざりした気分で目覚めて、このあと二度目の身支度をする。
それとは対照的なのが「広すぎるバルコニー」シリーズだ。
家自体はどうやら問題ではないらしく、それは住み慣れた家であったり、まだ木の匂いが立つ新築の豪邸であったり、はたまた身の回りのすべてが6畳ほどの空間に収まったアパートの一室であったりするのだが、そこから繋がるバルコニーが、とんでもなく広いという夢だ。
両国にあった自宅マンションには、アウトドアチェアを置いて寛げる程度のそれなりにゆったりとしたベランダがあったのだが、そこには腰壁がなく、代わりに5、6段の大きな階段が続いていた。その階段は江戸東京博物館の江戸東京広場に繋がっていて、わたしは日に何度もその階段を上った。
新築の豪邸では家中の窓が開け放たれており、広いリビングの大開口から続く、海原のような途方もないバルコニーへ吹き抜けていく風を、窓の桟に立っていつまでも感じていた。
6畳一間のアパートは物でごった返していた。体育座りをしてテレビを眺め、背中を丸めて本を読み、モノの隙間を横歩きですり抜けたり爪先立ちで跨いだりして過ごしていたけど、この部屋にはデパートの屋上のような広大なバルコニーがついていた。窓を開け、向こうにサンダルを投げたら、引き出しを踏み台にしてバルコニーに出る。誰も知らない場所で、ビール片手にぼーっとする時間はとても贅沢な秘密の時間だった。
そしてバルコニーにはいつも、懐かしい匂いのする夕方の風が吹いていて、わたしは爽快さと穏やかさが共存する不思議な心地よさに包まれるのだった。
私たちは目が覚めている時も、眠っている時も、記憶と想像でもって「現実」を夢見ているようだと感じる。眠っている時に見る「夢」は、脳が感情と相談しながら記憶をひっくり返し、想像の上にそれを置き直していく時間だ。記憶と想像と感情が、別のパズルにはまっていくような感覚に近い。
それは単なる幻影ではなくて、客観的な現実や自身の感情を整理しながら、新たな可能性をシミュレーションする、とても建設的な時間でもある。その上で、シリーズ化した夢の数々について考えると面白い。そしてこの「広すぎるバルコニー」シリーズについては、脳に感謝するとともに、もう少し頻発させてくださいとお願いしたい。