美味しいかたち

美味しいかたち

ふくは水を飲むとき、器を真上から覗きこみ、しばらく水面を見つめたあと、真ん中に舌を伸ばして飲みはじめる。小さな舌を動かしてピチャピチャと水を運ぶと、水が揺れて、とても美味しそうに見える。だからいつも、深くて大きな器にたっぷりの水を注いでおくようにしている。

高台の八角皿でほぐしながら食べる炒飯の味は格別だし、ビールは180mlのグラスで、何度も注ぎたてを味わいたい。韓国のスッカラも特別だ。長く細い肢の先にまるい皿のついた形には、「わたしはただの、食べ物を運ぶ道具です」という潔い美しさがある。料理を掬って口に運ぶとき、指先に伝わる量感が「これは旨いぞ」と脳に予感させる。多分同じような理由で、箸は細くて、少しざらついたものが好きだ。

美味しそう、美味しい、美味しかった。食べるという体験は、いくつもの感覚を通って記憶になっていく。その中で、食器や道具が果たす役割は、思いのほか大きい。道具を好んで普段使いしていくうちに、暮らしに馴染んで、信頼のようなものが生まれる。そして気取りのない当たり前の存在になった時、改めて感じる美しさがある。それはとても素朴で温かい。わたしはその美しさこそが、道具を好んで普段使いする理由そのものだと感じている。

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