その39 良い人と悪い人

その39 良い人と悪い人

挨拶を交わす程度の近隣住民や、二十年以上前に同じクラスだったという人が、報道番組のインタビューに答える。

「子供とキャッチボールする姿を時々見かけた。いいお父さんに見えた」
「あまり印象に残っていない。あいつは小学生の頃から陰気だった。」
「PTAなどに積極的に参加する、責任感の強い人だった」

ほんの一瞬交わった誰かの記憶の断片が、当事者の人物像として、まったく関係のないわたしの家のお茶の間に流れてくる。

いい人・悪い人。優しい人・冷たい人。明るい人・暗い人。

だけど人間はそんなに単純じゃない。人にはそれぞれ、記憶と感情が重なり合ってできた、光と影の側面がある。そしておそらく皆、矛盾する多様な側面を、グラデーションのように抱えて生きている。

そしてわたしたちはこの社会を生きるために、無意識のうちにその時々の自分を演じ分けている。すべてをさらけ出す必要などない。多くの顔を持ちながら、その時々の自分を許容していく。それは優しさであり、賢さであり、自分自身と自分の大切な生活を、自分の力で守るための、しなやかなスキルだと思っている。

生きていれば、後悔は尽きない。自立して生きていれば、大人になっても失敗ばかりだ。時に人を傷つけながら、今もなお失敗を繰り返している。
傷つけたこと、傷ついたこと。そのどちらもが結局、自分の傷みとして、いつまでも記憶に残り続ける。

自分の鼻持ちならない過去の記憶など、数えきれないくらいある。思い出すたび、枕を被って叫びたくなる。所謂「若気の至り」というやつだ。それらは後悔や小っ恥ずかしさ、あるいは誰かへの謝罪の気持ちとして、何年経っても向こう側で、今のわたしに向かって手を振っている。
だけどそんな過ちや傷みがなければ、自分の愚かさを知り、協調性を育むこともできなかっただろう。そうやって人は、喜びや傷みを知りながら変化を続ける生き物なんだと思う。
ただ、その変化が誰かの記憶も一緒に塗り替えることはない。たった一度のすれ違い。たった一言。たった一つの表情。未熟な断片のわたしが、ずっと誰かの記憶に残っていく。残念だけど、そういうものだ。

人との関わりは、タイミングでできている。そして印象もまた、タイミングが大きく作用する。
わたしたちは皆、傷みを知ることで学び、人間関係の複雑なプロセスの中で、生きている限りずっと成長の途中にいる。けれど、どれだけ学んだつもりでも、どれだけ注意深くあっても、どうしても人を傷つけてしまうこともある。その不完全さがまた、人間性を育んでいくのだろう。
……とはいえ、出来るだけ傷つきたくないし、出来れば誰も傷つけたくはない。人間関係ってのはやっぱり、どうにも難しい。

一年の終わりに、そんなことを考えている。

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