その29 名前

その29 名前

名前を呼ぶと、愛着が湧く。呼ぶたびに距離が定まっていく。一度その距離が決まってしまえば、久しぶりの呼びかけでも、たちまち温度が戻る。
季節の必需品を押し入れから引っ張り出すときもそうだ。名前を口にするだけで、急に心強い。親戚の集まりで、昔のままの呼び名が行き交う輪の中にも、特別な温度がある。

呼び名は、近いほど変化する。関係の近さで丸くなったり、出世魚のように成長の段ごとに姿を変えたり、立ち位置の変化に合わせて新しい呼称が育ったりする。その変化は、目に見えない合意の記録でもあるのだと思う。

名前が要らないときもある。「そういえば、あそこのあれ、どうした?」「ああ、そこの引き出し」——両親の会話に驚くことがある。文脈がすべてを埋め、指先だけで世界を指し示す最短距離のやり取りには、共有している風景の驚異的な強さがある。

そして、ときどき魔法のような出来事にも出合う。ぬいが枕にやってきて、向こうを向いて横たわる。その柔らかな丸みのある腰に頬をもたせかけると、グルグルという大きな音が胸に響く。ほどよい弾力を包む綿のような毛並みに沈む、そのひとときに名前はない。境界がぼやけ、感じがゆっくり広がっていく。この心地よさは、しばらくこのまま、例えようのない魔法として置いておきたい。

気に入って何度も買っている花の名前が覚えられない、というようなことが増えた。必要としていないから覚えないのだろう、とどこかで納得している。それでも、言葉の土台が痩せていく怖さはある。名前を覚え、その名を呼ぶことで、物事の輪郭はくっきりする。過去の記憶、これから続く生活。物事を忘れないために、名前を覚える必要がありそうだ。

ブログに戻る