その27 主人公

その27 主人公

物語には中心となる主人公がいて、そのまわりを違った才能や特色をもつ仲間が固める。赤を軸に五色がそろうヒーローもののように、役割や個性がはっきり色分けされる世界観もある。そこには“その他大勢”や背景としてのモブも登場する。

「誰もが自分の人生の主人公だ」——おそらくそのとおりだ。自分の人生を物語とするなら、物語を牽引するのは当然自分だ。けれどどうにも、わたしは中央でスポットライトを浴びている実感がない。
こまとふたりで暮らしていた頃。たとえるなら、わたしはこの世界を見る「目」で、こまはその世界の温度を受け止めて返す「心」だった。(あるいは、こまは世界の“向こう側”にいて、奥行きを与えてくれる存在だった。)

わたしが生きているのは、日々の暮らし、頭の内側、目の前の景色——それらが重なる地点だ。前に進めるのは先頭の旗ではなく、流れていく時間にピントを合わせる視点だ。だから“主人公的”な要素は、数ある特色のひとつに過ぎない。必要な場面で前に出て、用が済めば袖に戻る——それだけのことだと思っている。

ふくは、我が家に来たときからずっと“主人公の色”をしている。自然と視線を集め、場面をがらりと変えてしまう力がある。けれど、ふくが眠る昼下がりには、静けさが物語を進める。静かな部屋に、ぬいのいびきが小さく響き、中心は静かに入れ替わる。

社会生活では多くの場合「特色」より「行動」が評価され、「あの人」という指示は往々にして物体を指す。行動の責任は自分にあり、その結果は誰のせいにもできない。わたしが「自分の人生の主人公」であるとするなら、それは中央に立つ肩書きではなく、舵を切るときにだけ現れる小さな役割だ。

ブログに戻る