駒形通り

駒形通り

思い出に残ったことや、おすすめの店を尋ねられたとき。対外的な会話では、相手との距離に応じて頭の中にフィルターをかけてしまう。だからつい、その日のメインイベントや、その街の有名店について話してしまいがちだ。

ふるさとにも、強く記憶に残った出来事や、帰省のたびに立ち寄りたくなる場所はたくさんある。だけど風が運んでくる記憶はなぜかいつも、特別な逸話もないはずの駒形通りの風景だ。

とみた屋からあおきまで続く西陽よけのテントと、その向こうで炎のようにたなびく、とらやののぼり。店舗併用住宅の、おそらく何年も前に役目を終えた店舗スペース。その中にある、同時期に役目を終えたであろう自転車のカゴにかかる雑巾。栗田商会まで歩いてきたいつかの自分と自動ドア越しに目を合わせているような感覚で、しばらくノスタルジーに身をまかせる。

感情と記憶が今をつくってる。その積み重ねが自分を形づくっていく。さまざまな記憶が私の感情を動かして、駒形通りの風景を心地のよい記憶としてたびたび呼び起こす。ふるさとが優しいのは、おそらくこんなふうに、記憶が静かに積み重なり続けているからなのだと思う。

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