
正しさ
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我が家の猫たちには、朝ごはんと夜ごはん、おやつの時間が2回ずつある。
「嬉しい」の時間が多いほうがいいだろうと思い、1回分の適量を2回に分けてあげるようになった。ひと舐めで終わってしまうような量のおやつも、夜ごはん前の狩り(おもちゃ)の時間も、毎度とても楽しみにしている。
正直、面倒だなと感じる日がないわけではないが、この時間を大切にしたいと思っている。
わたしの実家は、家のすぐそばで商売を営んでいた。祖母の晩年、できる限り家で過ごさせてあげたいと、母は何度も家と店を往復して祖母の介護を続けた。やがて祖母が入院すると、母は仕事と家事の合間を縫って、往復1時間ほどの距離を自転車で飛ばし、毎日欠かさず見舞いに行った。でも、ベッドの上で母を待つ祖母にとっては、長い長い1日のうちのほんの束の間の時間だったろう。だからこそ、その時間を母は大切にしていた。
祖母は何度か峠を乗り越えた後、病院のベッドで息を引き取った。
「頑張ったね。ゆっくりしてね」と祖母の髪を撫でて最後の時を過ごしたあと、母は淡々と葬儀の段取りをこなしていた。けれど火葬炉が閉まった時、わたしの隣で「もう少しできた」と言って、一度だけ静かに泣いた。
時間には限りがあるから、どうしても後悔が残る。だからなるべく正しく在りたい。でも、それはとても難しい。自分の物差しで正しいことが、社会的にも正しいとは限らない。さらに言うと、自分の正しさと社会的な正しさのどちらが自分にとっての正解なのかも、その時々で違う。正しさって、本当に難しい。
けれど皆、平等に、それぞれの限りある時間を生きている。だから相手の時間を大切にできる人は、きっと誰の物差しで測っても正しいのだと思う。
生きていると、どうしても偏ってしまう。
それでも、おもちゃをテイテイする猫の手が、わたしの背中を支えてくれていることを、忘れないでいたい。