
価値観
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労働の対価として給与を受け取り、その中で日々の生活を組み立てる。
100円玉には100円の価値しかなく、自販機の缶コーヒーは、大体どれも130円ほどだ。けれど、寒い夜にようやく自販機にありつけた時の一本は、別の日のそれよりずっと有り難く感じられる。そんな「価値の有り難み」が「価値観」をつくり、その先で私は幸せを感じるのだと思う。
お金に縛られず好きなことだけをして暮らしていけたら理想だ。けれどそうでない日々にも、しっかりとした幸せがあった。昔住んだ街や、長年使ってきた愛用品は、不思議なほど優しく当時の日々を思い出させてくれる。嫌な記憶も多いが、それも含めて、希望と諦めの間で折り合いをつけられるようになった今だから、幸せだと感じられるのだろう。
価値観は自分の軸であって、声高に主張するものではない。理解できなくても、相手の価値観を認められる人は素敵だ。自分は自分、人は人——そう割り切ったつもりでも、心の奥から妬みや嫉みが顔をのぞかせることがある。そうありたい自分と、そうなれない自分。そのあいだで揺れながらも、価値観はわたしを支えてくれている。
「理解できなくても、相手を尊重して認められる」。いつかそんな生き方ができたら、また新しい幸せに出会えるのかもしれない。