
ぬい
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我が家には3匹の猫がいる。駒と福と縫。こまとふくとぬい、どちらかといえば平仮名のイメージでそう呼んでいる。こまはもうこの世にいない。だから今は2匹の猫がいる。今回は、ぬいのお話。
ぬいは2年半ほど前に我が家にやってきた。こまと同じ繁殖リタイアの猫だ。こまの具合が悪くなり、パワフルなふくとのあいだにもうひとりいた方がバランスが取れるのではないかと考えていた時に出会った子だ。
一度会いに行き、段取りを踏んで1か月後に迎えに行ったのだが、ぬいはわたしたちを見つけるやいなや一目散に向かってきて、手続きのために座った夫を見上げると、ぴょんとその膝に飛び乗った。それから小一時間、事務処理を終えるまでの間、ぬいはずっと夫の膝の上で眠るでもなくじっとしていた。そしてそれからちょうど1年が経った日、ソファでくつろぐ夫の膝に突然ぴょんと飛び乗って、しばらくゴロゴロと音を立てながら座っていたのだそうだ。ぬいが人の膝に乗ったのは、後にも先にもその2回きりだ。猫は時々、意味があるのかもしれないし、意味などないのかもしれない、奇跡のような時間をわたし達にくれる。
こまもそうだったが、劣悪な環境で生き抜いてきた保護猫は、何かしらの問題を抱えていることが多い。ぬいもまた、ひどい風邪をこじらせた状態でやってきた。黄色い鼻水をあちこちに飛ばして苦しそうだったが、検査に治療に投薬にと頑張ったぬいは、鼻もスッキリ通り、ご飯を美味しく食べられるようになった。痩せっぽちでお腹だけ膨れたような体つきだったのが、みるみるバランスの良い体つきになった。そして馴染んでいくにつれて、顔の形も表情も、次第にふっくら丸くなっていった。
おやつの用意をしていると、ふくが騒がしく鳴き始める。ぬいが「うるさいっ!」とパンチで黙らせて、その鳴き声が「ギャっ」と途切れる。それからふたり並んでおやつが出てくるのをじっと待つ。これがおやつ待ちの定番スタイルとなった。
ぬいが来て2か月ほど経ったある日、新しい爪研ぎが届いた。その爪とぎの横には、バネ状のボンボンおもちゃが付いていた。組み立てると、そばで寝ていたぬいが早速ボンボンを見つけて遊び始めた。不思議な動きをするバネのおもちゃの周りをくるくると駆け回りながら、ちょいちょいしたり、咥えてみたり、ごろんと寝転がってみたりしていた。
普段は大体寝ているし、起きている時でものんびりおっとりマイペースなぬいが、おもちゃを前にコロコロとはしゃぐ姿が可愛くて、しばらくその姿を眺めていた。
びっくりした。咥えてひっぱったボンボンが跳ね返り、おでこにごつんと戻ってきた時、ぬいが目をつぶってキャン、キャと鳴いたのだ。その時わたしは初めて、ぬいの声を聞いた。もしかしたら、何らかの悲しい事情で鳴くことが出来ないのかもしれないと思っていた。だから、ほっとしてすこし涙が出た。
それからぬいは時々、本当に時々、かすれた小さな声でキャッキャッと鳴くようになった。それは大抵、ひとりでおもちゃに夢中な時だったが、つい先日、わたしの目を見て何かを伝えるように鳴くことがあり驚いた。
そして最近、明け方にいつもよりはっきりとした鳴き声が聞こえてきて、なんだろうと思っていたのだが、朝目を覚ますと足元にネズミのぬいぐるみが置かれていた。
枕元(というか枕中央)で一緒に寝る日もあるし、おいでと呼ぶとそばに来てごろんと甘える。帰ってくれば迎えてくれるようになった。
なんとなく朧げだった瞳にあたたかな感情が宿り、ぬいとわたしたちはお互いがなくてはならない家族になった。
このぬいが、金子駒商店のビジュアル担当猫だ。この猫の模様は、わたしが美しいと思うものそのものだ。