その46 古いアルバム

その46 古いアルバム

明け方、小さな男の子の夢を見た。腕に手作りのベルトを巻いた男の子が、目の前を走っている。プラカップで作った腕ベルトには、ソフトクリームの容器が貼り付けてある。男の子は、それを掲げてヒーローポーズを繰り出しながら飛び回っていて、男の子の動きに合わせて容器もパカパカしていた。やがて猛ダッシュで机の前に佇むと、男の子は腕ベルトを天に突き上げ、大きな声で何かを唱えながら椅子に座り、おもむろにソフトクリームの容器を掴んで勢いよくぱかっと開けた。見るとそこには、使い込んで丸くなった消しゴムが格納されていて、男の子は耳を机にすりつけるようにして消しゴムを凝視しながら、机の落書きを一心不乱に消し始めた。まるで、一度書いたものが消せることがとても凄いことであるような勇ましさでもって、男の子は消しゴムを力強く操るのだった。
そしてわたしは、この子が大人になったある日、落書きの消えた机の上に積もった消しゴムカスのことを何かの拍子にふと思い出すのだろうと思った。そこで目が覚めた。
突然なんだ?!と思ったがこれはおそらく、最近我が家にやってきた子猫の、日々の奮闘に影響された夢だろう。

心揺さぶる瞬間のほかにも、今となっては取るに足らない出来事や、どうしようもなく退屈だったはずの時間の感触が、いつまでも記憶に残っていて、日常の途中で不意に幾度となく思い出すことがある。そしてその感触はいつも、その時目の前にあった静寂の中から出てくる。
時に、時間は静止画のように流れていく。止まったような景色の中で、差し込む光だけがキラキラと揺れていて、わたしはその止まった画の真ん中辺りにぼんやり視線を留めたまま、考えや思いを巡らす。それは、「古いアルバム」をめくる時間にも似ている。

今はもうアルバムを引っ張り出す必要もなくなった。「アルバム」はスマホの写真アプリの中にあって、アルバムにも入れない何万もの写真がライブラリの中で日々増え続けている。

実家の滅多に開けない戸棚には、分厚いアルバムが何冊も並んでいた。深緑や紺色の公的機関感のある表紙を開くと、古いにおいが鼻を掠め、写真の中の時間を鮮やかに動かす。アルバムの中には、はだけた浴衣でマイクを握る叔父にピントのあった宴会風景や、タートルネックの白いセーターを纏い、新しい家の門柱にもたれてかっこいいポーズをとる若かりし頃の父の姿、凄いパーマをあてた母に手押し車を押されてはしゃぐ幼い兄の真っ赤なほっぺなど、わたし達の大小の特別な日が、年代別で収められている。
特別な行事がなくても、フィルムを入れなくても、感情が動けばすぐにその場面を収めることができる時代がくることなど知る由もない色の写真が、その重厚な表紙とのギャップとともに、あの頃の懐かしさを運んでくるのだった。
昔の写真を見ていると、節目の日や特別な時間の中にも、あの頃の何気ない日常の空気は流れていて、その何気なさこそが特別な時間をあたたかく甦らせているのだなと思う。

あの頃の、「ああなんて素晴らしい」と見惚れていた時間もまた、温かな感触に包まれていつまでもわたしの記憶に残っている。

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