その45 酒場

その45 酒場

古くから続く老舗の酒場が好きだ。年季の入った店内に交差する人間模様と、うまい酒。
夫に猫当番をお願いして、今日の店を決める。仕事を終えて電車を乗り継ぎ、もうすぐそこにある暖簾の向こうを思い描きながら駅の改札を足早に抜ける。次の角を右に曲がり、住宅街をしばらく進めば、あの店の灯りが見えてくる。
駅前の喧騒を抜けて路地に入ると、住宅街の沈着な空気が頬を掠め、急に冷静な気持ちが戻ってくる。地に足がついた状態で暖簾をくぐったその瞬間、一斉に集まる視線。あの、弾き出されそうになる「酒場の外側」の緊張感がたまらない。

席に落ち着き、いつもの大瓶を注文したら、おしぼりで手を拭きながら木札のメニューをじっくりと吟味する。近々の出来事を頭の中で整理したり、隣の会話にそっと耳を預けたりしながら、定点カメラのようにこの場所に佇み肴を待つ。
そして差し出された肴を口に運び、ビールを流し込む。酔いと旨さと安堵が、じわーっと身体の隅々にまで沁み渡っていくのを感じる至福の時だ。
長い時間をかけてなめされ、醸成されたカウンターに、毎夜人々が交差し、空いたグラスが並んでいく。
お座敷に上がる時、靴を脱いで向きを整えるように、暖簾の手前で現実を畳む。そうして、日常から解き放たれる特別な時間へと身を投じる。
美しい場所に身を委ねる時間は、そよ風のような鮮やかな気づきを運んでくれる。それは、一人で知らない街を散策する時間に似ている。

私は、「受け入れられること」と「仲間になること」は似て非なるものだと思っている。受け入れられたいと願うことは、そこに所属したいと望むことではない。
温かい空気に包まれつつも、旅人のような身軽さで、「余所者」としてその場所に出向きたい。
その絶妙な距離感が、酒場を、そして自分を心地よく保ってくれているのだと思う。

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