その26 黒い服

その26 黒い服

黒い服ばかり着ている。最近のお気に入りという話ではなく、二十年以上ほとんど黒だ。
骨格や立ち姿、日々の動き方と折り合いをつけた結果で、諦めではない。心地よく生きるための選択だ。

黒は静かで、私の輪郭をほどよく曖昧にしてくれる。似合う/似合わないの判定は甘く、誰かの目にも留まりにくい。汚れにも強い。社会生活を送るうえで、とても無難な色だ。とはいえ黒なら何でもいいわけでもなく、好みはそれなりにある。そのせいでクローゼットと靴箱には同じようなものが並ぶ。夫の目には全部同じ服に映るらしい。会社員時代も、五日間同じ服を着てきていると思われていた可能性がある。

基本的に同じような服しか着ないから、確認しなくてもだいたい見当がつく。だから鏡の前に立つことは少ないのだが、ある日、出勤電車の中でコートとパンツの裾が毛だらけになっているのに気づき、朝のどさくさで開けっぱなしだったクローゼットから出てきた茶色い物体とすれ違ったのを思い出して、「あ。」となった。それ以降、玄関で姿見をのぞく習慣がついた。

以前会社で「毎日黒なのに猫の毛がついてないのはなぜ?」と聞かれ、なぜだろう? と一瞬考えた。それは、家を出る直前まで部屋着で過ごしているからなのだが、猫を飼い、黒い服を着るわたしにとってそれはごくごく自然な習慣だった為、すぐ言葉にならなかった。人はそれぞれ、自分の価値の置き方に合わせて、日々こまかく折り合いをつけている。そうやって生まれた手順が、いつしか当たり前の習慣になっていく。その実感が、なんだかおもしろい。
ちなみに家ではほとんど黒は着ない。猫の毛が目立つからだ。

なんでも着こなす都会的な骨格には憧れる。けれど、もし生まれ変われるのなら、そんなことより猫になって毛皮をまといたい。猫については、そのすべてが羨ましい。生まれながらの毛皮をまとって生きられるのだとしたら、わたしはどんな模様だろう。考えるとワクワクする。

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